熱海教会創立百周年記念礼拝
「変わらぬ国こそ主の教会」   
ローマの信徒への手紙 12章

 熱海教会の始まりは、実業家の信徒であった森本市左衛門宅での家庭集会だったと言われています。後に場所を変え、1919年、日本同盟基督協会熱海教会として、正式に発足しました。
初代牧師の佐野秀生牧師は、1920年に高山教会に転任。その翌年、土肥貞次先生が熱海教会に赴任します。1923年、関東大震災が発生。当時、熱海教会は新浜町という海辺に近い場所にありましたが、震災による津波によって、教会堂を流出します。それからしばらくの間、伊地知別荘を仮集会所として、「御用邸裏通り熱海基督教会」として伝道を再開します。1936年、清水町に新礼拝堂献堂。清水町の礼拝堂は、1983年、上宿町の温泉旅館(この場所)に移転するまで、使われ続けます。
 土肥先生の熱海伝道中の取り組みとして、自殺未遂者の救援活動がありました。熱海の錦ヶ浦の絶壁から投身自殺する人が絶えず、自殺防止のために、錦ヶ浦のトンネルを抜けたところに「ちょっと待て、考え直せ、全て疲れたるもの、重きを負えるもの、我に来たれ、我汝を休ません 御用邸裏通り、熱海基督教会」とペンキで書きました。この言葉によって、多くの自殺未遂者が救われたと言われています。
 1930年代になりますと、やがて日本は暗い時代となります。国内の軍国主義化、ファシズム国家体制が急速に整備され、教会も警察の監視対象となり、自由にものを言えない空気が広がってきます。
 1939年、土肥貞次先生は隠退。向山自助先生が熱海教会に赴任します。しかし、1941年9月、向山先生は召集令状を受け、中国大陸へと出征します。この時から終戦後まで、熱海教会は無牧となります。同じ年の1941年6月、国家の指導の下で、日本基督教団が成立。それに伴い、日本同盟基督熱海協会も、日本基督教団熱海教会となりました。
終戦後、熱海教会は日本基督教団熱海教会として再出発します。幸い、熱海の街は戦火を免れましたが、しばらくの間、無牧の状態が続きます。戦地に向かった向山自助先生の消息が分からないまま、伊東教会の松本広先生が熱海教会の代務を行いました。1947年に高山教会より堀田富三先生を招聘。海外からも、同盟協会ミッションの外国人宣教師たちが来日。やがて外国人宣教師の中に「日本基督教団」に加入していることを問題にする者が現れ、日本基督教団からの離脱を迫ったために、外国人宣教師と日本人牧師との間に軋轢が発生。結局その溝を埋めることができず、日本基督教団から分離するグループと、教団に留まり続けるグループに分裂することになります。これから後、熱海教会は「日本基督教団熱海教会」として歩んで行くことになります。
 1950年、熱海大火が発生。火の手が折からの強風にあおられて、市の中心街を総なめにしました。教会堂は類焼を免れましたが、教会員の多くが罹災し、被害は甚大でした。
 それから後、高度経済成長の時代となり、熱海は高層ビルが立ち並ぶ街に変貌しました。堀田富三先生は、当時のことを以下のように記しています。「1964年。この年の十月一日から、東海道新幹線が営業を開始した。熱海―東京間はわずか50分となった。あまり喜べない言葉であるが、熱海は文字通り東京の奥座敷と言われるようになり、ホテル、旅館はもろ手を挙げて喜び踊った。教会には何も関係はない」
 この百年の熱海教会の歴史を見る時、まず私たちが思うことは、私たち人間の不甲斐なさです。右から風が吹けばそれになびき、戦争に協力してしまった。かと思えば党派を造り、互いに相争うこともあった。目先のことしか見えていない、本当に罪深い者の歩みでありました。それにもかかわらず、神の出来事は教会において起こったのです。教会は、揺れ動かぬ何か不思議な力によって導かれたのです。
 今の熱海教会も、決して順風満帆ではありません。伝道困難な試練の時とも言えます。とりわけ、当面の私たちが与えられている最大の課題は、この教会堂、建物を維持することです。築20年たち、教会堂も改修工事が必要な時期に差し掛かってきています。決して簡単なことではありません。でも私たちは、この礼拝堂を建てた時、すでにこの礼拝堂を私たちの信仰の証しにするという決断をしたのです。この礼拝堂を次の世代のために維持することが私たちの大きな役目であり、証しと言えましょう。でもそれと同時に私たちが覚えなければならないことは、その先の百年後のことです。できることなら、このままずっと、この世が平和であってほしいと誰もが思っています。しかし過去の百年の歴史を振り返る時、その保証はどこにもありません。しかしどれだけ時代が変わっても、神に向き合う人間存在は変わることはありません。いやまず誰よりも、神は変わることのないお方です。神の愛もまた不変なのです。そうであるから、百年たっても、毎週、主日礼拝を守っている熱海教会の姿は変わらない。イエス様が再臨されるその時まで、熱海教会の礼拝共同体の姿は変わることはないのです。
 今日の礼拝は次の百年に向けての記念すべき第一歩です。そうは言っても、やることが変わるわけではありません。これまで通り、みことばと聖礼典を中心とした礼拝を守っていくだけです。今までも、またこれからもです。